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名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)784号 判決 1970年6月24日

原告

池田吉一こと

池盈水

代理人

杉田正

高木修

被告

油谷運輸株式会社

代理人

尾埜善司

前由嘉道

主文

被告は原告に対し、金七二万四、〇六五円及びこれに対する昭和四三年三月二六日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分して、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実<省略>

理由

一、交通事故の発生

請求原因(別紙一)の一、の始めから「……正面衝突をした。」とあるまでの事実は、「被告車がセンターラインを越して突進し、原告車と正面衝突した。」との部分を除き、その主張のように衝突事故が発生したことにつき当事者間に争いがない。

二、事故の原因

<証拠>を綜合すれば、つぎの事実が認められる。

本件事故が発生したのは昭和四二年一一月二一日午前六時四〇分頃のことで、滋賀県愛知郡愛知川町大字長野三〇九番地先の国道八号線上である。この国道は車道幅員7.6メートルの上下二車線で南北に通じ、附近は直線で見透しがよく、平坦舗装、当時雨のあとで路面が湿つていた。

被告会社の運転手仲野恵一は大型貨物自動車(長さ7.67メートル、幅2.39メートル、積載定量六トン、積荷なし―以下A車という。)を運転して右国道の上り車線を南から北に向つて時速約五〇キロメートルの速度で進行して来た。A車の前方には同程度の速度で大型貨物自動車が先行していた。仲野はこの先行車を追越そうと考え、加速して車間距離を約五メートルに縮めそこからハンドルを右に切つて対向の下り車線上に出たところ前方八〇乃至一〇〇メートルの地点に南進してくる下り車線上の原告運転の貨物自動車を発見し、追越しは不可能であると判断したので、減速して先行車の後につくべくブレーキを踏んだ。ところが、A車はすでに追越しのために相当加速しており、路面が湿つており、且つA車の積荷がなかつたこととブレーキの踏み方が急であつたことから、車体の後部が左に右に揺れ、そのためハンドルを右に左に切つて千鳥足の状態になり、普通貨物自動車(長さ4.675メートル、幅1.69メートル、積載定量二トン、約3.2トンの積荷中―以下B車という。)との衝突をさけるため対向の下り車線を斜めに横切つて国道東外側の藪に突込んだ。

原告は、B車を運転して右国道下り車線を北から南に向つて時速約四五キロメートルの速度で進行して来た。先行車はなかつた。原告は本件衝突地点近くになつて、対向車線を走行して来ていた大型貨物自動車のうしろから更に一台の大型貨物自動車(A車)が追越をかけてセンターラインを越え下り車線上に出てくるのを発見した。そのA車との距離は八〇乃至一〇〇メートルであつた。ところがA車は無理な急ブレーキをかけたのか車体の後部を右左に振り出したので危険を感じ突嗟に急ブレーキを踏んだけれども間に合わず、一八メートルのスリップ痕を残して、B車の左前部がA車の左後車輪の附近に激突するに至つた。この衝突の時点はA車がその前部を国道外に突込んで下り車線を横切りおわる寸前の瞬間で、A車はその儘更に藪の中へ約七メートル前進して停止した。

以上認定の事実によれば、本件事故は、A車の運転手仲野が対向車の有無、動向に注意しその安全を確認してから先行車の追越しにかかるべきであつたのにこれを怠つたこと、減速するには自車の速度、路面の乾湿状況に注意し緩かにブレーキを踏むべきであつたのにこれを怠つたことに主要な原因があることは明らかであるが、原告の過失もその一因をなしていることを看過することはできない。その理由はつぎのとおりである。

自動車運転者は政令で定められている積載重量をこえて荷物を積載して自動車を運転してはならない(道交法第五七条第一項)のに、本件の場合、原告が積載定量二トンの貨物自動車に約3.2トンの荷物を運転していたことはさきに認定のとおりである。而して、自動車の総重量が制動並に反応時間及び停止距離の比例要素の一つであることは当裁判所に顕著なところ、本件事故発生の状況を検討して見ると、B車がA車に衝突した箇所はA車の左後車輪附近であり、衝突の瞬間A車はまだ前進(道路外への斜め進行)を続けていたのであるから若しB車が衝突地点に到達した時間が瞬間的にもう少し遅れていたならばB車がA車の後を通過する形となつて衝突事故は発生しないで済んだと考えられ、他面B車の推移を見ると、同車は18.0メートルの長いスリップ痕を残してA車の側面に激突するに至つているのであるから、若しB車の積載量が制限定量の二トン以下であつたとすれば、B車の制動時間及び停止距離は本件の場合よりも短縮されて衝突が避けられたに違いないと認められるからである。

そこで、本件事故発生の原因と認められる右両者の過失の割合を勘案してみると、A車の運転手仲野のそれが八〇%、B車の原告のそれが二〇%と認めるのが相当である。

三、賠償義務者<略>

四、損害

(一)休業損失

原告は、本件事故当時自己所有の自動車によつて飼料を運送し、その運送事業によつて一ケ月金一二万円以上の収入を得ており、本件事故に因る傷害のため昭和四二年一一月二一日から昭和四三年一一月二〇日まで休業の止むなきに至り、その一年間合計金一四四万円以上の得べかりし利益を喪失したので、これが賠償を求めると主張する。

然しながら、自動車運送事業を経営する者は運輸大臣の免許を受けることを要し(道路運送法第四条)、原告がこの免許を受けていなかつたことは原告本人尋問の結果に徴して明らかである。

ところで、不法行為に基づく損害賠償の制度は、法律上保護さるべき利益を不法に侵害された者に対し、それによつて生じた損害の賠償を与えることによつて救済を図り、もつて公平の理念を実現しようとするものであるから、いかなる種類の損害につきいかなる程度の損害額を賠償せしめるかもまたこの制度の趣旨に即して判定されなければならない。

これを本件について考えてみるに、原告は傷害によつて休業を余儀なくされた一年の期間中も自動車運送事業によつて収益を得べかりしものであつたと主張するけれども、前示のとおり、この事業を経営する者は免許を受けることを要し、これに違反する者は刑罰に処せられ、且つ自動車の使用を停止されることもある(道路運送法第四三条、第一〇二条)のであるから、事故当時の無免許営業がその後も将来に亘つてその儘継続されて行くものとする蓋然性は通常の合法事業の場合に較べると遙かに稀薄なものというべく、また、職業の選択は本来自由なるべきところ法は公共の福祉のために特に自動車運送事業の経営を運輸大臣の免許にかかわしめてそれ以外の者の経営を禁止しているため、一般通常人は免許なくして自由にこの事業を営むことなく、従つてそれによつて享受しうべき利益を見送つている事情にあるのであるから、法が守らるべきものである以上、免許を有しない者が自動車運送事業を経営しそこから収益を挙げることは一般にあるべきことではないと考えるのが社会の通念というべく、さらに、無免許営業者が現に締結する運送契約の有効・無効をいう場合とは異なり、不法行為の場合の将来の喪失利益というのは、それを認めないからと言つて、法的安定性を害したり、運送契約の相手方がいわれなく運送賃の支払を免れるというような不当な結果の生ずるおそれもないのであるから、このような損害については賠償を求めることができないと解するのが相当である。原告の主張する得べかりし利益をそのまま本件事故による損害として被告に賠償させることはできない。(債務不履行による損害賠償につき反対最高裁昭和三九・一〇・二九民集一八・八・一八二三頁、不法行為による損害賠償につき反対大阪高裁昭和四三・三・二八判例時報五二〇・五六頁参烈)

それでは、傷害による休業期間中の原告の得べかりし利益は皆無とすべきであろうか。それもまた相当でない。何故ならば、本件事故当時原告は無免許ではあるけれども自動車運送事業を営んでいたのであつて、遊惰無頼の徒とは異なり、勤労の意思と能力は備えていたと認められ、本件事故によつてこれが損われるに至つたことは明らかでこの点を看過することもまた公平の理念に副わないからである。而して、原告がこの無免許の運送事業以外の適法な職業に従事した場合に具体的にいくらの収益を挙げ得べかりしたものであつたかについては特段の立証はないから、<証拠>により、本件事故当時原告が満二二才の健康な男子であつたと認められることに則り、労働大臣官房労働統計調査部「労働統計年報」昭和四二年版五八表運輸通信業の項に従つて一ケ月金三万〇、八七八円の収益を挙げ得べかりしものと認めるのが相当である。

そして、原告は昭和四三年一一月二〇日まで休業を余儀なくされたと主張するけれども、原告本人尋間の結果によれば、原告は昭和四三年六月始めからは再び無免許の運送事業についていることが認められるから、右休業を余儀なくされた期間は昭和四二年一一月二一日から昭和四三年五月末日までの六ケ月と一〇日間である。よつて、その期間の喪失利益を算定すれば、金一九万五、五六一円となる。

(二)附添費<略>

(三)雑費<略>

(四)自動車の減価損<略>

(五)過失相殺

以上(一)乃至(四)の損害合計金四六万七、五八一円につき、さきに認定の過失の割合(原告二〇%、被告の運転手八〇%)を考慮すると、そのうち被告が原告に支払うべき金額は金三七万四、〇六五円となる。

(六)慰藉料

<証拠>によれば、原告は本件事故によつて頸部鞭打損傷の傷害を負い、事故の日から昭和四三年二月二一日まで前記豊郷病院・松波病院に入院し、その後も手指のしびれ、頸部の疼痛のため松波病院に通院していたが、同年五月末日までには概ね治癒して同年六月始めから再び以前の自動車運送事業を始めたこと、右通院はその後も同年七月六日まで続け(通院日数通算四八回)、同年八月一六日から同年一一月二日まで二ケ月に一回位救生療院こと江崎丑太郎方でマッサージ、指圧、湿布等をして貰つたことが認められる。以上の事実に過失の軽重、その他一切の事情を勘案すると、本件事故による原告の精神的苦痛を慰謝するため被告が支払うべき金額は金三五万円が相当であるというべきである。

五、結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は右四、の(五)(六)の合計金七二万四〇六五円及びこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四三年三月二六日以降その完済まで年五分の割合による民法所定年五分の割合による金員の支払を求める限度においては正当として認容できるけれども、その余は理由がないので失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担については民訴法第九二条本文、仮執行の宣言については同法第一九六条に従い、主文のとおり判決した。(藤井俊彦)

別紙(一)  請求の趣旨

被告は原告に対し、金三、九五三、五三〇円也及びこれに対する本訴状送達の翌日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決と仮執行の宣言とを求める。

請求の原因<以下略>

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